2011年6月22日水曜日

共感疲労

先日、何とはなしにフリーペーパーの「R25」という冊子を読んでいたところ、石田衣良氏のエッセイに「共感疲労」という言葉がでてきた。ふむ、おそらく日本中のいたるところで共感疲労が起こっているのだろうと思う。地震から3ヶ月以上が経つ。少し気持ちが緩んできたところでどっと疲労。ここ2−3週間、なんか調子出ないし、ことあるごとに涙ポロポロするの、なんでかなあ、って思っていたところ、どうも鬱らしいということを昨日くらいに発見して、なにかひとつすっきりした。
鬱ながらにライブなんてこなしてしまう自分は、とても成長したと、自画自賛。
14歳手前で発症してから、かれこれまもなく20年のおつきあい。薬を服用することへの抵抗なんかと戦った10年は過ぎ去って、毎日の生活を送ることが重要、って思って薬の服用をきちんとするようになってから、8年くらい。もちろん、生活に変化はあるし、娘は大きくなるし、私が音楽と対面する仕方も変化している。
そんな頃に、共感疲労も重なった。
それでもとても軽くて済んでいるのは、きちんと薬を服用していることと、私を支える家族や友人、時々出会う素晴しい文章、それから私の生きる糧である音楽のおかげだと思っている。

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