2015年10月10日土曜日

〈6月〉気仙沼で

今年の学校公演の旅は東北地方と北海道でした。楽団のツアーで東北・北海道を巡るのは初めて。震災から四年が経った気仙沼へも伺いました。

気仙沼の市街地、二階建ての立派な家屋、一階部分が流されて二階部分だけが残った家がまだそのままになっていました。駅から海岸へ降りて行く道すがら、はじめはくるぶしほどの高さに、歩くにつれ膝、腰、肩、ついには頭上にまで「ここまで津波が来ました」という表示がありました。港の側の道路は、6月の時点でまだ車の通る道だけが舗装されていて歩道はただの砂利道でした。足をとられながら歩くと、濃いグレーの外壁の多面体をした素敵な建物がありました。そこはカフェで、すでに楽団のメンバーが移動の後の疲れを癒すべく三々五々、コーヒーや紅茶を飲んでくつろいでいました。地元の親子連れが夕方のひとときを過ごしていました。ノマドワーカーと見られる若い人がPCを広げて仕事をしていました。私は、まだ娘が小さな頃にこんな素敵な空間がうちのそばにあったら通いたいなと思う場所でした。
場所の名前はK-portといいます。俳優の渡辺謙さんが、縁あった気仙沼の復興のためにと建てたそうです。Kは気仙沼のK、渡辺謙のK、他にもなにかあるのかな。ロゴマークはKの文字と灯台を組み合わせたようなデザインでした。
開放感があって、四角くなくて、人と喋らなくても同じ空間に居る安心感があるような場所でした。後から知ったのですが、そこは先日お世話になった伊東建築事務所の伊東豊雄さんの作品でした。流されてなにもなくなった場所に建てられた建築は、灯台のようにこの地を照らしてくれているのかもしれません。

夜は別の場所で、今度は一人でコーヒーを頂いたのですが、駅からほど近いその場所は、昔八百屋さんだったそうです。震災を機に、藤沢あたりから実家へと帰ってきたご主人が経営をされていました。私はそこで、今までで飲んだ中でたぶんいちばん美味しいコーヒーをいただいたと思います。いろんな場所で様々なコーヒーを飲んで、どれも美味しいのですが、ここのコーヒーは素晴らしかったです。少しだけカフェのご主人とお話をしました。この辺りの人たちはみんな、津波で親戚や友達、大切な人たちを亡くしている。街はまだ、外の人たちの手助けが必要だ。けれども四年も経って忘れられつつあるんだ。東京へ帰ったら、このことをみなさんに知らせてください。確かそんなことを言われました。

記憶は変化するものです。6月の記憶はすでにもう変化し始めているかもしれませんが、これ以上変化する前に書き留めておこうと思いました。

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